新聞を読んでいて一瞬、目を疑った。ドイツ中央党が連邦議会への再進出を果たしたというのである。確かめてみるとその通り。極右政党AfDを離党したウヴェ・ヴィット議員の中央党入党が18日付で発表されていた。
中央党と聞いてもピンとこない読者が多いかもしれないが、数え方によってはドイツで最も古い政党で、第二帝政建国直前の1870年に設立された。プロイセン主導のドイツ統一で創設された第二帝政は宗教的にプロテスタントが主流だったため、これに危機感を持ったカトリック教徒が政治的な代弁機関として設立したのである。
一方、建国のリーダーであった初代宰相ビスマルクはカトリック教会が人々の生活に大きな影響力を持っていることに危機感(国民統合上、好ましくないと判断)を覚え、カトリックを数年間、「帝国の敵」として弾圧した。「文化闘争」と呼ばれ、高校の世界史教科書でも取り扱われている。中央党は弾圧の矢面に立った政党である。
同党はカトリックの価値観を守ることに力を注いだものの、他の政策分野では他党や政府に譲歩する物わかりの良い存在でもあった。このためワイマール共和政(1918~33年)では32年まで一貫して与党の座にあり、首相を5人も輩出している。
しかし、ワイマール共和政に最後のとどめを刺したのもこの政党である。憲法を事実上、停止し立法権をヒトラー政権に全面付与する授権法は、中央党が賛成に回ったことで実現した。つまりナチス独裁の実現に中央党は手を貸したのである。物わかりの良さは不節操でもあった。
中央党は戦後、復活したものの、かつての党員の大半は新政党のキリスト教民主同盟(CDU)に加わった。幅広い有権者に支持される「国民政党」を目指すCDUは輝いて見え、カトリックの宗派性を重視する中央党を時代遅れと判断したのである。戦後初の連邦議会で獲得した議席数はわずか10。57年以降は議席が皆無の状態が続いていた。党員数も300~400人程度に過ぎず、まさか議会に再進出するとは予想できなかった。
中央党は現在、イスラム教徒や非婚者、未婚者など伝統的なカトリックの価値観に反する人々にも開かれた政党となっている。目指すところは国民政党である。だが、AfDの議員だったヴィット氏を受け入れるのはいかがなものか。発言を審査したうえで入党を認めたとしているが、節操がないという印象は拭えない。