アフガニスタンの首都カブールの陥落は冷戦終了後の世界史の大きな転換点になるだろう。民主主義と自由経済はいつでもどこでも普遍的な効力を持つという楽観的な見方に最終的なとどめが刺されたためだ。
2001年の同時多発テロを契機とする米国と同盟国のアフガニスタン侵攻には安全保障上の正当な理由があった。ビンラディンの引き渡し要求をタリバン政権が拒否したからである。膨大な数の民間人を巻き込む国際テロを展開するアルカイダに安全な拠点を提供し続けるタリバンは容認できなくなっていた。
だが、タリバン政権崩壊後のアフガニスタン再建については見通しが甘すぎたと言わざるを得ない。個人の尊重や議論による意思形成などと無縁の伝統的な価値観が根強いうえ、民族・部族間の亀裂も深い社会ににわか作り民主主義を根付かせることはまず不可能だ。経済力が極めて低く社会の安定を保てないという事情も米国などの西側諸国は軽視していた。
ドイツは参加しなかったが、西側諸国はその後、イラクのフセイン政権も崩壊させた。アラブの春ではリビアのカダフィ政権を潰し、シリア内戦の泥沼化の一端も担った。
その結果は、良き意図と反してアフガニスタンから北アフリカに至る地域の不安定化をもたらしただけだった。欧州が現在、抱える難民・イスラムテロ問題もその多くはアフガニスタンに始まる一連の軍事侵攻に起因している。
世界人権宣言を国連が採択してすでに70年以上が経過した。人権は普遍的な権利であり、これを著しく侵害する国は制裁に値する。だが、人権を踏みにじる国家を崩壊させることには今後、慎重にならざるを得ないだろう。人権と世界情勢の安定をともに見据えたバランスのある外交が求められている。